今年は年初から、あまりにいろいろなことがあった。
今日現在振り返ってみれば、どれもたいしたことではない気もするが、それでも連続して受けるパンチのように静かに、確実にヒットし続けた感がある。
結果としては、ひどく疲れてしまった。 半分泣き言のような話であり、情けない感さえあるのだが、正直大分参った感がある。
仕事がらみあり、人間関係あり、買い物絡みから身内の体調不良まで・・・
10日ほどの間に、切れ間無くことが立て続けにおきた感じ。 別に自分の人生のハルマゲドンではないのだが、「前世の行いがよほど悪かったか・・・」と思わず前世論者になりそうになった。
そもそも年末年始の乗り越え方が良くなかったのかも知れない。 しかたがないこととは言え、何かバタバタしているうちに年が明け、そのまま誕生日を迎え・・・ これって、例えるなら『朝起き上がり方を間違えた』と同じなのだけど、その後憂鬱なことは重なるもので、今週ぐらいになってからやっと復調の兆しが見え始めた感じ。 といっても、頭の上に立ちこめる黒雲は未だ晴れず・・・
40代も最後の歳になると、良からぬこともぽつぽつ考え始め・・・ やれ腕が痺れる、頭の中が痛い、足が調子悪いなどの本来あまり大げさではない事象が、何か悪いことの前兆のように感じられてくる。
老父の予定されていた入院、手術。すでに本人了解済みで決めたことを粛々と行っているのだが、やはり心配は心配。 今週中にはお見舞いに行く予定。
でも何と行っても、今の気持ちを占めているのは、自分でプランしたことが予定通りに行っていないこと。 最悪の事態も想定してプランを建てたつもりが、それ以上に悪い結果を呼び、さらにそこにオマケがついて。 行き着く果ては疑心暗鬼。 これにはさすがに自分でも閉口して、久しぶりに、自己分析なるものを行ってみる。 自己分析もどきのことなので、無意識のうちに自分の内面に深く入り込むことを避け、3日間ほどかかって、やっと今の問題点と思われることを整理した。 その中でも、苦笑したこと。 3日目の朝だったと思うが、電車の中で今の自分の心境をイメージに例えるとしたら・・・などと考えながらうつらうつらしていた時・・・ 『睡眠状態では検閲作用が少し甘くなる』というフロイト先生/木田先生の教え通り、普段では考えつかないようなイメージが沸き上がって来た。
建築中の高層ビルの最上階の足場に立っている自分。 下からビル風が吹き上がっていて、足下は不安定。 それでも下を見ずにいられない自分がそこに居た。 ボーっとしている中、突然覚醒して、思わず身震い。 実は(というほど大胆な告白でもないのだが)高所恐怖症の気が有り高い所のイメージは苦手なのだ。 自由連想中も、この高所に絡むものはなかったと記憶している。 相当精神的に追いつめられていることをこれで痛感する。 その後は、本能が命ずるままに、自分のバランスを維持するために必要と思われる超現実的な打開策を講じ始めた。
普通何か対策を練る時には、素案をイメージしてから必ず数日は寝かせてある程度熟成させるように心がけてはいるのだが、緊急事態ということで、これむ已むなしとする。 しかし、未だこれが正解なのかどうかはわからない、というのが現状。
こんな状態は滅多にないのだが、こんな時にも心の支えになるのが精神分析。 縁があったとはいえ、勉強をしていた良かった。 こんな駄文を書く程度までは元気も回復したのだから。 木田先生にあらためて感謝。 見捨てないでいてくれる相方にも感謝。 そしてもちろん猫達にも感謝。 それから忘れちゃいけない愛息(今日は愚息とか同居人とかは書かない。 書けるほど気持ちに余裕がない)にも心から感謝。
どうやら一人では生きて行けないタイプのようだ・・・私は。
そうそう木田先生繋がりでもう一つ。
先生が亡くなられて早一年。 今週末に先生のお宅にお邪魔して本を頂くことになった。 所謂形見分けということなのだろうが、これもちょっと自分らしくない感じ。 先生がお亡くなりになっても、心の中にはいつもいらっしゃるので、困った時にはいつでも相談できる感じがしているから。 ただ、先生の弟子として、やたら念仏を唱えるようには語りかけてはいないが。 自分の座右の銘は、“念仏を唱えるだけでは彼岸には渡れない(おまじない代わりにはしない)”と“伝家の宝刀は一度しか抜けない(やたら抜いたら、伝家の宝刀では無くなる)”だから。
「一生懸命、前向きに」
ということで、今年も(あるいは今年は)ゆっくり生きて行きまっしょい!
ラベル: どうにもよくないこと